【極上文學】『草迷宮』~荒牧明初日~ [├ 極上文學]
あやねです。
*こちらも書いてます*
【極上文學】『草迷宮』~荒牧菖蒲初日~
【極上文學】原作と舞台から~明と菖蒲~【草迷宮まとめ】
【草迷宮】心のどこかにある、手鞠唄が響く場所【極上文學】
土日はTMさんの30thFINAL@横浜アリーナでしたが、
それは別ブログに書くとして。。。
(いやぁ、、いろいろあったw)
20日は、極上文學『草迷宮』、荒牧明の初日に娘と行ってきました!
下手最前列でしたん。
(娘、死ぬかと思った言うてましたw)
前日、わたしのみ荒牧菖蒲を観ておりましたが、、、
女性役である菖蒲の後の、男性役の明。
最初からスゴイ配役だなぁとは思ってたけど(笑)
きっと大阪公演もあるし、キャスティングの都合とかの事情もあるんだろうし??
でもそれやっちゃうまっきーすげーわ、と単純に思う。
きっと誰かが、荒牧慶彦ならできると判断したんだよね。
それも含めて、まっきーの持ってる「可能性」の領域なのかな、と。。。
ま、思ったとか思わなかったとか(どっちや)
でね。
前日に桑野明と荒牧菖蒲で観てますやん。
桑野さんは忍ミュで小平太やってましたよね~。
極上文學は、演者の「解釈」を大事にしている、って確かどっかで聞いたのですけど、
それだけに、すべてWキャストだからその人によって違う人物像になるよね。
それが顕著だよね。
荒牧明はとても熱かった。
それはとても意外だったなぁ。
まっきーは、
「ただただ母親の面影を求めている明の母への想い」
と、ブログに書いていたけれど。。。
そして「それがみんなに伝わるといいな」と言っていたけれど。。
わたしはそれよりも、、
もっとなんだろうな、、「根源的な何か」を感じる。
ちょっと漠然としているね。
母に対する「想い」というより、
「失ってしまったもの」に対する渇望感。
求めても、もう手に入らないとわかっているものへの憧憬。
でもその先にあった、「未来の姿」
荒牧菖蒲は「透明感」と「純粋さ」
失われることのなくなった「少女性」
だと思う。
時間が止まっているの。
三上菖蒲は「母性」かな。
あのね、まっきーの菖蒲はまだすごく揺れ動いてるの。
「人間」であることに未練があるの。
未練というか、憧れみたいな想いを感じる。
失ったものへの憧憬、だね。
つまり、荒牧明と同じもの、だね。
そして「未完成」
どちらも。。。
「未完成」であることの美しさを持ってる。
みかしゅんさんの菖蒲は、
もっと「女」だった気がする。
「母性」をも孕んだ「女」
もっと、生々しいもの。
「人」であることには決別していながら、
でも生々しい。
ああ、「女神」の領域に近いな。
「女神」はね、人であった経験がある「神」だから、
人としての経験が生々しい分、
人に近い存在でもあり、でも人では在れない者。
そういう感じの日本版、って感じ。
もちろんね、みかしゅんさんの方がまっきーよりも年上でいらっしゃるし、
(つってもお若いけどね。)
今までの経験値が、割とダイレクトに反映される役だと思う。
男性がやる女性であるわけだしね。
つまりさ、異性に対する、彼らの中にある「イメージ」の反映なわけだよね?
ある意味で。
そりゃあ、、年齢的なものが反映されるから面白いよねぇ。
わたしからみると全く違う。
同じ台詞であっても、全然違う。
そして「違う」ことを許容し後押しする舞台、なんだなって思う。
菖蒲論みたい(笑)
で、荒牧明です。
菖蒲が「儚い」のに対して、
明の想いはとても熱かったね。
本当にそれは意外で。
なんかね、もっとイノセントな感じなのかな?って勝手に思ってたの。
もっと、さらりとしているのかな、って。
まっきーはAB型なんですけど、
AB型ってさ、なんか「線を引く」のがうまい気がするんだよね。
でも、時々(しょっちゅう?笑)境界線を見失うんだけど(ごめん、それはわたしだったw)
一見クールに見られがち、でも懐くとかわいいんだよ?(笑)
そういう小器用な部分が出ると、さらり、としちゃう気がしたのかな。
(でも今思うとまったくオカシな話と思う、われながら)
んでね、
実はあまり細かいこと覚えてなくて(笑)
あまりにも近かったもんで、「明、美しいわぁ~」と思うことしきりで。
娘ちゃん、「みかしゅんさん、かわいかったね。」って言ってた。
うん、かわいかった。
でもまっきーもかわいかったけどな←
あまりに近くて、ちょっと斜めから観る感じだったので、
全然違うよね、全体見渡せる席から観るのと。。。
やっぱりライブも舞台も、全体観られる席と、
汗が見えるくらい近くから観られる席と、
どっちも体験できるとよりいいよねぇ。。。
感じる部分がかなり違うから、より深く理解できる気がする。
なんでも。
観たその時に、その瞬間に感じたことを、
書き留めておくのは難しいね。
ただ、そういうものに出会うと、掻き立てられるものがあるのね。
描きたい、という想いだったりとか、
この想いを形にしたい、という願望。
わたしね、菖蒲が最後、自分の想いを語るところが大好きで。
あれをまっきーでもう一回観たい、と思って、チケット追加しました(←どこまでもわたしであるw)
「あきちゃん、、」って語り掛けるところは、ちょっとアレだけどねー(笑)
でも「あきらちゃん」じゃないよねー(笑)
それに朗読劇だしねぇ、そもそも。
まっきー明がさぁ、、泣くから。。。
わたしも泣きました。
明も菖蒲も自分勝手だと思うのね。
でもそれでいいんだよ?
それで後悔もしてるのかな、って思うのね。
母を失くしたあの時よりも、時間も年も重ねた「今」となっては。
その責任の回収を、これからふたりはしていくんだと思う。
親はね、子供には幸せでいてほしいんだよ。
一緒に死んで欲しいとも、生きながらに自分を殺し続けてほしいとは思っていないんだよ?
だから、ふたりは自分の在り方をきっと、もう少し先の未来で見直すんだと思うの。
そういう時が、やってくると信じてる。
また前楽と千秋楽@東京にはいくので、
その時に書けたら。
ただね、そういうものに触れることの貴重さと、
一瞬が永遠であること、
時空を共有することの昂揚感を、
娘が受け取ってくれるといいなと思っています。
あやねでしたー!!
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土日はTMさんの30thFINAL@横浜アリーナでしたが、
それは別ブログに書くとして。。。
(いやぁ、、いろいろあったw)
20日は、極上文學『草迷宮』、荒牧明の初日に娘と行ってきました!
下手最前列でしたん。
(娘、死ぬかと思った言うてましたw)
前日、わたしのみ荒牧菖蒲を観ておりましたが、、、
女性役である菖蒲の後の、男性役の明。
最初からスゴイ配役だなぁとは思ってたけど(笑)
きっと大阪公演もあるし、キャスティングの都合とかの事情もあるんだろうし??
でもそれやっちゃうまっきーすげーわ、と単純に思う。
きっと誰かが、荒牧慶彦ならできると判断したんだよね。
それも含めて、まっきーの持ってる「可能性」の領域なのかな、と。。。
ま、思ったとか思わなかったとか(どっちや)
でね。
前日に桑野明と荒牧菖蒲で観てますやん。
桑野さんは忍ミュで小平太やってましたよね~。
極上文學は、演者の「解釈」を大事にしている、って確かどっかで聞いたのですけど、
それだけに、すべてWキャストだからその人によって違う人物像になるよね。
それが顕著だよね。
荒牧明はとても熱かった。
それはとても意外だったなぁ。
まっきーは、
「ただただ母親の面影を求めている明の母への想い」
と、ブログに書いていたけれど。。。
そして「それがみんなに伝わるといいな」と言っていたけれど。。
わたしはそれよりも、、
もっとなんだろうな、、「根源的な何か」を感じる。
ちょっと漠然としているね。
母に対する「想い」というより、
「失ってしまったもの」に対する渇望感。
求めても、もう手に入らないとわかっているものへの憧憬。
でもその先にあった、「未来の姿」
荒牧菖蒲は「透明感」と「純粋さ」
失われることのなくなった「少女性」
だと思う。
時間が止まっているの。
三上菖蒲は「母性」かな。
あのね、まっきーの菖蒲はまだすごく揺れ動いてるの。
「人間」であることに未練があるの。
未練というか、憧れみたいな想いを感じる。
失ったものへの憧憬、だね。
つまり、荒牧明と同じもの、だね。
そして「未完成」
どちらも。。。
「未完成」であることの美しさを持ってる。
みかしゅんさんの菖蒲は、
もっと「女」だった気がする。
「母性」をも孕んだ「女」
もっと、生々しいもの。
「人」であることには決別していながら、
でも生々しい。
ああ、「女神」の領域に近いな。
「女神」はね、人であった経験がある「神」だから、
人としての経験が生々しい分、
人に近い存在でもあり、でも人では在れない者。
そういう感じの日本版、って感じ。
もちろんね、みかしゅんさんの方がまっきーよりも年上でいらっしゃるし、
(つってもお若いけどね。)
今までの経験値が、割とダイレクトに反映される役だと思う。
男性がやる女性であるわけだしね。
つまりさ、異性に対する、彼らの中にある「イメージ」の反映なわけだよね?
ある意味で。
そりゃあ、、年齢的なものが反映されるから面白いよねぇ。
わたしからみると全く違う。
同じ台詞であっても、全然違う。
そして「違う」ことを許容し後押しする舞台、なんだなって思う。
菖蒲論みたい(笑)
で、荒牧明です。
菖蒲が「儚い」のに対して、
明の想いはとても熱かったね。
本当にそれは意外で。
なんかね、もっとイノセントな感じなのかな?って勝手に思ってたの。
もっと、さらりとしているのかな、って。
まっきーはAB型なんですけど、
AB型ってさ、なんか「線を引く」のがうまい気がするんだよね。
でも、時々(しょっちゅう?笑)境界線を見失うんだけど(ごめん、それはわたしだったw)
一見クールに見られがち、でも懐くとかわいいんだよ?(笑)
そういう小器用な部分が出ると、さらり、としちゃう気がしたのかな。
(でも今思うとまったくオカシな話と思う、われながら)
んでね、
実はあまり細かいこと覚えてなくて(笑)
あまりにも近かったもんで、「明、美しいわぁ~」と思うことしきりで。
娘ちゃん、「みかしゅんさん、かわいかったね。」って言ってた。
うん、かわいかった。
でもまっきーもかわいかったけどな←
あまりに近くて、ちょっと斜めから観る感じだったので、
全然違うよね、全体見渡せる席から観るのと。。。
やっぱりライブも舞台も、全体観られる席と、
汗が見えるくらい近くから観られる席と、
どっちも体験できるとよりいいよねぇ。。。
感じる部分がかなり違うから、より深く理解できる気がする。
なんでも。
観たその時に、その瞬間に感じたことを、
書き留めておくのは難しいね。
ただ、そういうものに出会うと、掻き立てられるものがあるのね。
描きたい、という想いだったりとか、
この想いを形にしたい、という願望。
わたしね、菖蒲が最後、自分の想いを語るところが大好きで。
あれをまっきーでもう一回観たい、と思って、チケット追加しました(←どこまでもわたしであるw)
「あきちゃん、、」って語り掛けるところは、ちょっとアレだけどねー(笑)
でも「あきらちゃん」じゃないよねー(笑)
それに朗読劇だしねぇ、そもそも。
まっきー明がさぁ、、泣くから。。。
わたしも泣きました。
明も菖蒲も自分勝手だと思うのね。
でもそれでいいんだよ?
それで後悔もしてるのかな、って思うのね。
母を失くしたあの時よりも、時間も年も重ねた「今」となっては。
その責任の回収を、これからふたりはしていくんだと思う。
親はね、子供には幸せでいてほしいんだよ。
一緒に死んで欲しいとも、生きながらに自分を殺し続けてほしいとは思っていないんだよ?
だから、ふたりは自分の在り方をきっと、もう少し先の未来で見直すんだと思うの。
そういう時が、やってくると信じてる。
また前楽と千秋楽@東京にはいくので、
その時に書けたら。
ただね、そういうものに触れることの貴重さと、
一瞬が永遠であること、
時空を共有することの昂揚感を、
娘が受け取ってくれるといいなと思っています。
あやねでしたー!!
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